昭和48年12月16日 特別奉修委員
中村良一
私共は、世のお役に立たせてもらうと言うか、神様のお役に立たせてもらうと言うか。役に立っておる、役に立つ、お役に使うて頂けれる信心をさせていただかにゃいけん。死したる後、神になり、神に祀られることを楽しみにという信心は、ただ、信心しておれば、神に祀られるという事ではない。お役に立つから、神に祀られる、神としてお取立てを頂くのです。
私は、今、あの、筆を、私はもう、一年は使います。この前のなんかはもう、一年何ヶ月使いました。ずーっとしますから、もう、それは勿論、新しいのが書き良いですけれども、お役に立つだけは、一つ、お役に立たせて頂く訳なんですけれども。そしたら、その筆を、みんな、こう、集めてあの、筆塚というですね、あの、書き手の方達なんかは、あの、筆塚などを作って、お祭りをされるという事ですけれども。その、役に立った筆を、全部集めて、それも、私が、ここで、この中にいっぱい入れていますけれども、それを集めて、こう、筆塚を作るところを頂いたんです。ね。役に立ったから、あの、そうなんです。人間も、お役に立つ信心せにゃ駄目です。ただ、我情我欲のための信心でなきゃ、お役に立ちたい立ちたいの一念を燃やさせて貰えれる信心にならにゃいけんです。勿論、その、お役と言うても、様々です。それはもう、様々な人がおらなければ、様々な御用がございますのですから。その、いわば、持ち場立場で、一つ、本当にお役に立たせていただく信心。そういう信心をさせていただくから、死したる後、神になり、神に祀られるおかげが受けられるという事を思うですね。お役に立たせていただきたいと言う一念を、燃やしていけれる信心を頂きたいね。どうぞ。